鴨緑江を渡ったキエフ

 米国の著名な報道写真家D.D.ダンカンが102歳で亡くなりました。栄光の米国フォトジャーナリズムの最後の輝きがついに天に昇りました。ダンカンといえば、1950年に勃発した朝鮮戦争を日本光学工業のニッコールレンズを通して世界に伝え、まだ無名に等しかったニコンカメラとニッコールレンズの優秀さを世界に知らしめたことで有名です。それはさておき、ここではもう一つのカメラと朝鮮戦争の物語を。

 この写真のカメラは、中国遼寧省丹東にある「抗美援朝紀念館」に展示されているソ連製のキエフKIEVです。「抗美援朝」とは「米国に抗して朝鮮を援助する」、つまり中国にとっての朝鮮戦争を記念する施設です。丹東は中国・北朝鮮国境の中国側の都市で、国境の鴨緑江に面しています。
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 カメラの持ち主だった人物は北朝鮮を支援するために参戦した中国人民志願軍の解方参謀長です。中国がこの戦争に参戦して間もなく、解参謀長は北京に赴き、毛沢東に戦況を報告しました。その場に立ち会った総司令官の彭徳懐が解参謀長に「なにか必要なものはないか」と聞いたところ、解参謀長は「カメラをいただきたい」と答え、このカメラを贈られたのだそうです。

 兵員でも弾薬でもなく、カメラを求めるとは、なんとも粋な軍人です。戦線に戻った解参謀長はこのカメラを愛用し、戦況を記録するとともに1953年の板門店における休戦交渉も撮影したということです。

 この12日にはシンガポールで米朝首脳会談が行われます。朝鮮戦争勃発から実に68年。この会談では休戦状態のままの朝鮮戦争の「終戦」問題も議題になると伝えられています。一世紀を超える生涯を閉じたダンカンはこのニュースをどんな思いで聞いていたのでしょうか。そして彼が朝鮮の戦線でニッコールレンズを駆使していたとき、鴨緑江を渡ってきたソ連製のカメラとレンズがすぐ近くで活躍していたことを果たして知っていたのでしょうか。

❇ 解方 (Xie Fang シエファン)
1908年吉林省生まれ。日本の陸軍士官学校に留学。36年中国共産党入党。軍略家としての評価が高く「抗美援朝戦争の諸葛孔明」といわれた。国民党軍でも共産党の人民解放軍でも少将を務めた異例の経歴の持ち主。84年北京で没。

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by haterumarisiri | 2018-06-09 09:02 | カメラ | Comments(0)